トレイル・ランナー「小山壮太」さん - ただ記録のために山を走るのではなく
巻頭 インタビュー

ただ記録のために
山を走るのではなく

取材/梶原光政撮影/橋本伊礼

「トレイル・ランニング」という、聞き慣れないスポーツ。さらに、そのプロといわれても、正直、ピンときませんでした。しかし、著書を読ませていただき、お目にかかって話を聞いて驚きました。もしかしたら、小川さんは、自然と一体化することを求めて、山や谷を上り下りし、尾根を走り回っているのではないだろうか? そんな気さえしてきたインタビューのひととき、お伝えします。

小川 壮太(おがわ・そうた) 1977年、山梨県甲州市生まれ。
日本では数少ないプロのトレイル・ランナー(世界ランキング5位)。スカイランニング世界選手権および、山岳スキー世界選手権の現役日本代表。高校在学中から陸上競技やスキー競技、山岳競技の山梨県代表として国体に出場。岡山国体の山岳競技での活躍を機にトレイル・ランニングの世界へ。2011年、フランスで開催されたニヴォレ・リヴァード(50km)準優勝。14年、日本山岳耐久レース(通称「ハセツネ」)5位。小学校の教師を経て、15年にプロ転向。転向後の初戦となった王滝村「トップオブザトレイルランナー50k in JAPAN」では優勝した。現在はHOKA ONE ONEに所属 。著書に『トレイルランニング』(江崎善晴画・山と渓谷社)がある。

もともと走るのが大好きだった

山に限らず、意識的に走ることを始めたのは、いつごろからですか?
私は中学・高校・大学と、夏は陸上競技、冬はクロスカントリー・スキーと、ずっと競技生活を続けていました。もともとふつうに走るのが好きだったこともあって、中学では陸上の中長距離が専門で、関東大会にも出場。高校ではクロスカントリー・スキーと陸上競技を両立させ、大学に進んでも走りつづけ、それが「山」に結びついていったというわけです。
大学を卒業して小学校の教師になり、岡山国体の「山岳縦走競技」に出場したということですが、その後、どんな経緯で「トレイル・ランニング」に進まれたのでしょうか?
そう、競技として山を走りはじめたきっかけは、かつて国体にあった「山岳縦走競技」という種目です。現在はなくなってしまいましたが、17kgの重さに調節したザックを背負って山々を縦走するタイムを競うというもの。その選手として、2005年に行われた岡山国体に山梨県代表として出場しました。
ところが、次の秋田国体(2007年)ではその種目じたいがなくなってしまったのです。「国体」は特別な大会ですから、仕事の休みも比較的とりやすい。そのため、全国各地に、都道府県の強化指定を受けた山の猛者(もさ)たちがいました。現在では日本を代表するプロトレイルランナーである、群馬の鏑木毅(かぶらぎ・つよし)さんや、静岡の山岳警備隊員で、トランスジャパンアルプスレースを連覇するトップアスリート、望月将悟さんは、そのころからの「戦友」です。彼らが「トレイル・ランニング」を始め、活躍する姿を見て、僕も自然とそちらに移っていったんですね。
平らな地面を走るのと、いわば山岳をのし歩く競技と、山を駆けめぐる競技とは、それぞれ全然違う気がするのですが……。
もともと、まわりを見回せば山ばかりの地域に生まれ育ってきた私の山との関わりは、「登山を楽しむ」というより「生活の一部」でした。春はタラの芽やワラビを採り、夏は祖父や父が渓流釣りをするので、いっしょに沢登りをして山奥の沢で釣りをするのです。秋になればキノコを採りに山に入り、冬にはスキーをするといった、山に寄り添う生活でした。遊び場も山だし、陸上競技のトレーニングの一環で走ることもあって、私としては、山を走ることにほとんど抵抗も不安もありませんでした。
この競技の存在を知ったとき、モノは試しと、走る部分だけでもやってみました。すると、走れば走るだけ景色が変わって、アップダウンがあり、山頂があって谷があって……。走りつづけるうちに、新しい楽しさを感じました。ちょっと本格的にやってみたいと思わせるには、まさに絶好のタイミングでしたね。
動きを俊敏にするための体幹トレーニングや筋トレ、ヨガはもちろんのこと、年に1回のフルマラソンは40代に突入した現在も欠かさない。(塩山ふれあいの森総合公園にて)

「トレイル・ランニング」熱、全開!

トレイル・ランナーとして活躍を始めて、2011年のフランスの「ニヴォレ・リヴァード(50km)」に参戦。それが海外初のトレイルレースですか?
そうです。フランスのなかでも古くて歴史のある大会で、日本人も毎年のように挑戦している選手がいるレースです。その大会でそこそこよい成績で、準優勝しました。
2014年には第22回日本山岳耐久レース、通称「ハセツネ」に出場するのですね?
「ハセツネ」というのは、亡くなった長谷川恒男さんという登山家を偲(しの)んで設けられた大会で、事実上の全日本選手権です。その特別なレースでは、5位でした。
さらに、その翌年、2015年にプロ宣言。
私は、教員という職業は好きでした。それを辞めるにあたって、自分の気持ちの整理が意外と簡単ではなかった。それでも、国内外の大会での競技を集中してやってみたいという競技者気質の部分と、なかなか狭い「業界」ではあるのですが、教員のキャリアを生かせばコーチとして生計を立てていけるのではないかという見通しのなかで、思い切ったのです。
転向後の初戦となった王滝村「トップオブザトレイルランナー50kin JAPAN」では優勝を果たしました。
あの大会は、前年に起きた御嶽山の噴火で大きな被害を受けた、王滝村の復興を応援するというもの。日本全国のトップランナーが王滝村に集まって、観客の目前で勝負するという、初の「観戦型」、ショー的な要素もあったんですね。普段は一般の人たちも一緒に走っていてトップランナーの走っているところは見られないのですが、彼らがどんなレース展開をするか、腰を据えて見ることをメインにする大会でした。
いろんな意味で重要な大会だったのですね?
私がプロとしてやっていくときの、最初のいちばん大きい大会で、そこで成績を残せたので自信になりました。
家族は、妻の亜希さん、長男の悠吏くん(小5)、長女の莉央さん(小2)、次男の礼くん(年長)。国内の大会では、エイドステーションで給水にあたるなどしながら父の走る姿に触れる。

プロにしかできないこと

そもそも、プロになったのは、どういう理由がいちばん大きかったのですか?
競技人生を続けるためという経済的な理由が大きかったのはもちろんですが、「トレイル・ランニング」というスポーツを日本で発展させるためには、たくさんの人たちの注目を集めるプロの存在は、ぜったいに必要だと考えてもいました。
その一方で、欧米ではあまり問題にならないのですが、トレイル・ランニング愛好家の人口が急激に増えると山ではハイカーとの軋轢(あつれき)が生じかねません。そこで、日本の土壌や習慣に合わせた楽しみ方、遊び方を検証し、広めていくという情報発信者が必要になります。いわば、この競技の楽しさや可能性を発信していく立場というのが、プロとしての私が当初から目指したポジションなのです。
アウトドア業界ではマウンテンバイクが、トレイル・ランニングよりちょっと早く入ってきて、残念ながらそのマナーやルールについてはおざなりでした。結果、ほとんどの山域で「もうやってくれるな」という雰囲気になってくる。そこで、私は教員としての目を意識しながら山に入り、その世界を見渡してみました。すると、いろいろな事情や歴史があることがわかり、山のスポーツを日本の土壌に合った広め方で、ちゃんと継承していかなければダメだと感じたのです。
欧米と日本の「山文化」の違いは、どんなところにあるのでしょう?
人と自然との距離感が、欧米では圧倒的に近いのです。週末、人々はこぞって山に行く。自然に身を投じることが特別なことではなく、それで登山道もきちんとお金をかけて整備されるため、強固なものになるのです。地質の違いもあり、とくにヨーロッパには岩稜(がんりょう)帯や岩場が多く、登山道が安定している。登山道と植物の群生地の棲み分けもなされていることが多いんですね。
こうして、ほっといてもお金が落ちるというシステムができて、登山道がさらに整備されるし、沿道には等間隔で山小屋があり、安全です。「自己責任」という点でリスクが低いから、たくさんの人が山に入ってきて、いろんな楽しみ方をする。
山の文化の「厚み」の違いなのでしょうか?
日本はまだまだ「山ブーム」であって、それが「山文化」というところまで落としこまれていない。この違いはどこから来るのか、そのあたりをつねに考えています。
私はプロですから上級者はもちろん、初級の人たちへの講習もやります。後者は誰でもできると言う人もいるけれども、むしろ、こうした初心者層にきちんとしたルールやマナーを伝えることができれば、この「業界」は自然に安定していくのだと思う。それで、初心者講習には力を入れるようにしているんです。
その初心者の講習で力説している点は?
トレイル・ランニングというスポーツはスタイリッシュで、山をフィールドにして遊ぶという側面もある。走ることと、自然を楽しむという両面があるんですね。フィールドが山という自然相手の遊びなので、より楽しく、安全にするというノウハウを吸収してもらうことを心がけています。
たとえば、捻挫(ねんざ)ひとつで救助を求めるといった状況もありえ、それを考えると、捻挫の応急措置のしかたを学んで、そのためには何を持って山に入るのか、ヘビやハチがいたらどう対処するかなどです。ロード・マラソンなら棄権して、その場でやめることができます。あるいは、途中でコンビニに立ち寄るということもトレイル・ランニングではできない。山のスポーツなんだという認識と、そのリスクマネージメントからスタートするということの必要性を強調します。
どちらかというと苦手な登りのみの「富士登山競走」にも、毎年、必ず参加する。プロのプライドを捨て、あえて自分の弱点と向きあう。

これだけは知っておいてほしい!

初心者の方々、これから山に入ってトレイル・ランニングを始めたいという人たちにお勧めの本、DVDなどはありますか?
トレイル・ランニングというスポーツに関係する「業界」というのは、まだとても小さくて狭いのです。だから、その情報収集をどこでするかがだいじになります。やはり、山の専門誌などがある店で、「トレイル・ランニングのいま」を知ってほしい。本やDVDばかりではなく、また、それ自体はトレイル・ランニング用のものでなくても、一般に山ではどんな配慮が必要かという観点で、いろんな情報を収集してから始めてほしいです。
トレイル・ランニング専用の用具やウェア類、装備などへのこだわりはありますか?
トレイル・ランニングに特化している道具は、より軽くて機能性のあるものです。そのなかでも、生地が薄くて軽いものを選びます。よりコンパクトになるといったアイデア商品が、いくつもある。その選定にも面白さや発見があり、モノ集めも楽しみのひとつです。
しかし、そういうものがなければ走れないというのではなく、ペースが遅かったりトレイル・ランニングといっても、自分の計画が『山と高原地図』のコースタイムとそれほど変わらなかったりする場合なら、必要最低限のギアではなくて、ハイキングや登山用の持ち物でなくてはいけません。軽いだけで、防水性や保温性がないものといった、トレイル・ランニング用のギアをいきなり選んではいけないのです。自分の経験や技量、技術に合わせて、選択できるようになるといい。
「山のドレスコード」についても、ご著書では強調していらっしゃる。
トレイル・ランニングでは、山に入っているボリュームのいちばん多い年齢層は、おそらく定年を迎えて時間の余裕ができた方たちです。ですから、シニアのスタイルがベースにある。
いまそこに、よりファッショナブルで明るい色が入ってきて、それが女性にフィットして「山ガール」という言葉が生まれたように、トレイル・ランニングにもいろんなファッションがあります。日本でも盛り上がりつつあるとはいえ、それがすべての年齢層に受け入れられるわけでなく、その山域でその格好はないでしょうということもあるのです。
必要なのは山そのものや、その山域で長く過ごしている人たちに対する敬意です。
補給に失敗すると走りつづけられなくなる恐れがあるので、水や行動食にはかなり気を使う。自分の体で確かめながら、最善の組み合わせを捜していくといいとアドバイス。

山に寄り添い、自分と向きあう

とくにお気に入りの山域は?
私が子どものときから慣れ親しんでいる大菩薩山塊、「甲州アルプス」です。甲州アルプスというのは大菩薩山塊の黒川山(鶏冠山1716m)から大菩薩嶺(2057m)を経た一連の山稜、小金沢連嶺の滝子山(1590m)までをいうのですが、この名前は、甲州市出身の天野和明さんという登山家で、いまは石井スポーツ登山学校の校長をしている方が付けたもの。私もトレイル・ランニングのプロとして当地でのレースをプロデュースするときに、その名を使っています(「甲州アルプス オートルート チャレンジ」。第2回目は2018年11月4日開催予定。http://koshu20171119.jimdo.com/)。
小川さんにとって「山」とは何ですか?
「かけがえのない」という言葉では、言いつくせないものです。
未来に残していかなければならない。自分の子どもや孫の代にまで、いまの状態を残してあげたいと強く思います。山に寄り添うあり方は私自身が祖父や親父から受け継いできたものだし、そこで感動したから、いまなおこんなことをやっている。子どもたちにも感動を味わってもらいたいから、山に連れて行くのです。彼らの子どもたちにもその姿を見せてあげたい。
私は甲州市の「観光大使」をおおせつかっていて、当地の自然のすばらしさをピーアールするのですが、宣伝だけやっていて実際に山に行くとひどい状況という現実もある。そして、これからもっとそうなるのかもしれません。たしかにスポーツとしてのトレイル・ランニングには賛否がありますが、これを「利用」させてもらって里山を、森林を再生させたりするのが、僕の思いなのです。
最後に、今後の目標は?
こういう仕事だからこそできること、チャレンジできるものに惹かれます。山を登ったり走ったりするのはすごく孤独な時間があって、自分と向き合うことができる。トレイル・ランニングの大会でも、「ここでやめれば楽になる」とか、「ここで足が痛くなればやめられる」というように、どんどん弱い自分が出てきて、それに打ち勝つなかでゴールしたときの喜びは、陸上競技にもありましたが、いまそれが1ランク上の喜びになって出てくる。だから修験(しゅげん)に近いものにチャレンジしたいという気持ちがあり、実際、「身延山七面山修行走」に参加して、優勝したこともありますしね。
私はことしの8月で41歳ですが、自分自身も全体も、ともに競技レベルが上がっているのがトレイル・ランニング。50歳、60歳でも国際的な大会で優勝するという不思議な世界なのです。だから、僕も40代の中盤にピークを合わせて、ことし8月のTDS(Sur Les Traces des Ducs de Savoie、119.1km、累積標高差7,338m、制限時間33時間)というメインの大会ではがんばりたいと思っています。
笑顔を絶やさないまま、力づよく「トレイル・ランニング」の未来を語りつづける姿が印象的。比叡山の「千日回峰行」に話題が及ぶと、その表情は、さらに穏やかなものに。
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